11月度総幹部会「ごまかし訓諭」
そこで正本堂落慶時に、あのごまかしの訓諭が細井日達管長から出されたのです。
云わく
「正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は広宣流布の暁に本事の戒壇たるべき大殿堂なり」と。
どうです。矛盾だらけでしょう。「一期弘法付属書・三大秘法抄の意義を含む事の戒壇」とはどういうことか。
細井管長と妙縁寺で対面したとき、私はこの矛盾を責めた。すると細井管長は
「『意義を含む』というのは、浅井さん、ちょっとでも含んでいればいいんだ」と言って、指で丸を作りながら、それをだんだん小さくして、「ほんのちょっとでも含んでいれば」といって、ごまかした。
つまり「三大秘法抄の意義を含む」という表現で、いかにも御遺命の戒壇であるかのようにごまかした、というわけです。
また「現時における事の戒壇」については
「事の戒壇といっても御遺命の戒壇という意味ではない。大御本尊まします所は、いつでもどこでも戒壇と言えるのだから、正本堂も事の戒壇といえる」
と言った。これも「事の戒壇」の定義を勝手に変えて、正本堂を御遺命の戒壇と思わせるたばかりです。しかし詰めればそうではないと言い逃れる。
さらに細井管長は
「ここでやめておけばよかったのだが、後文を付け加えられてしまった。それがいけなかった」と、暗に学会の意を受けた阿部日顕(当時教学部長)がこれを付け加えたごとく言っていた。その後文が
「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」
ですよ。すなわち、今はまだ広宣流布ではないが、広宣流布の暁には正本堂はそのまま御遺命の戒壇になる。すなわち広宣流布の暁に建てるべき御遺命の戒壇を前もって建ててしまった--ということです。
これには、まことに巧妙な悪巧みがあった。すなわち十八年後の平成二年に大石寺を本門寺と改称して、その時同時に「広宣流布達成」を宣言し、「正本堂は御遺命の戒壇」といえばいいとの、伏線だったのです。
いいですか。何よりも広布以前に戒壇を建てておくということ自体が、大違背ではないか。
まさにごまかしの訓諭です。
訓諭というのは、時の貫首が一宗を嚮導するために発する最高の指南といわれている。国家における天皇の勅語みたいなものです。
このような重大な訓諭を以て、細井日達は御遺命を破壊せんとしたのであります。
そしてこの七年後、細井日達は大事の御相承もなし得ずに急死してしまった。
そして次の阿部日顕と池田大作が、醜い争いを始めたのです。かくて阿部日顕は池田憎しのあまり、ついに正本堂を打ち壊してしまったのであります。
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